日本の旗

「日本の旗を見ると思い出すことがあるんだ……」
来日していた外国人ジョッキーRが調教時間の休憩中にポッリといったこと
がある。天気の良い日で、彼の遠い目線の先には日本国旗がはためいていた。
「臼と赤の配色が主輩惨だった事痔故を思い出すね」
突然の話題に、最初は彼が何をいっているのか理解できなかった。日本の旗
をみると悲惨な事故を思い出すって……?
しかし彼の口から、数年前に彼が経験した競馬中の事故(おそらく私が聞い
たなかでももっとも凄惨な事故)の全容が語られると、ようやく日本の国旗に敏感に反応する彼の心情が少しわかった。園本国旗の配色に慶応するトラウマも仕方ないような気がした。

ちょうど皿世紀になった頃のニュージーランド。
その日は雲ひとつない快晴だった。競馬場には多くの人が集まり、夏の前の
レースを楽しんでいた。ジョッキーRにしても、自分がバカンスに入る少し前
のシーズンを集中して稼ごうとしていた気分のいい一日だった。
事故はそんな平凡な日に起こった。
午後の最初のレース。賜頭立て。いつものごとく次々とゲートに入る馬たち。
そのなかに1頭、気性の荒い馬がいた。ゲートに入る前からイレ込んでいる。
だがそれもいつものことだ。気にするほどのことじゃない。ジョッキーRは自分の枠、11番にすんなり入ってほかの馬たちがゲートインするのを持っていた。
そのときだった。
ガシヤーンー.バーン!
内側のほうで、何か金属が叩きつけられるような音がした。
「さっきの馬が暴れた。」
Rはとっさに思った。
「落馬か?」
でもいつものことだ。ちょっと待っていればすぐにスタートできるさ。神経は集中したままで前を向いていた。ところが騒がしさは増してくるばかりだ。
音のした方から、周りの騎手たちが慌てている声も聞こえる。いやこれは尋常ではなさそうだなと感じる。突如、スタンドからも悲鳴が上がる。もうスタートはしなそうだなとジョッキーRは馬をゲートから出した。そしてようやく落馬が起きた現場に目をやった。
見たこともないような凄惨な光景が広がっていた。
倒れているジョッキー。一面が真っ赤に染まっている。
血だった。
しかもジョッキーの首がない・・・。
「・・・・・・・・・・!」
言葉も出なかった。周りの騎手は、「オーマイゴット」といっている。
まだ暴れている馬がいる。馬から落ちておろおろするばかりの騎手もいる。
芝のところどころに真っ赤な血が飛び散っている。まるで地獄だ。何が起こっ
たのか全然わからない。係員が走ってきた。もはやパーーックである。オーマィ
ゴッド。オーマイゴッド。周りの騎手はずっといい続けている。ゲートのはる
か前に、飛ばきれた騎手の首が落ちていた。
気性の荒かった馬はまだ暴れている。馬はほとんど負傷していないようだが、
真っ白い馬体には騎手のものだろうと思われる鮮血がべったりとついていた。
馬の首から胴体にかけて、真っ赤な血が帯のようになっていた。

事故の原因は、馬の気性とゲートの形にあった。
ユージーランドの一部の古い施設は、そのときまで安全面に若干の問題あ
るゲートが使われていた。そのゲートの形状は、西部劇にでてくるような酒場
の入口の扉を想像してもらえれば一番近い。扉が低い位置(馬の首のつけ根あたり)につけられているタイプだった。
もともと気性の悪かった馬は、かなり興奮していて、ずっと首の上げ下げを
していた。ゲートのなかに入るとさらに興奮しだし、ついには自分の首を、一
度大きくうしろにのけぞってから、反動を使って今度は大きく下に振った。そ
のとき手綱をしっかりと持っていた騎手は、馬のパワーそのままに、ゲートの一番鋭い部分に首露鍾打してしまったらしいのだ。

現場はその後しばらくの間ビニールシートで覆われ、血のふき取りなどが行なわれた。
気性のせいで騎手を殺してしまった馬は、係員に連れられてどこかへ消えて
いった。そのうしろ姿もジョッキーRは脳裏に焼きついて離れないといっていた。
白い馬に真っ赤な血。そんな色の配合が現場を思い出させるのだ。
事故現場にいた騎手たちのなかには、それ以降、まったく競馬に乗れなくな
ってしまった者や、まったく勝てなくなってしまった者がいて、Rにしてみれぱ自分がいまでもレースに乗れているのはラッキーだといっていた。
「事故にあった騎手はあまり面識のあるやつじゃなかった。だけど、あんな
ことになってしまうのは本当に気の毒だった。あれが自分にも起こりえる事故
だったかと思うとゾッとしたし、仲間の何人かが精神的なショックから馬に乗
れなくなったのも本当に不幸なことだと思う。自分が日本の国旗を見てこんな
ことを思い出すのは、日本の人たちには大変申し訳ないことだと思っている。
でも自分のなかの過去に刷り込まれた記憶は、なかなか消せないんだょ」

事故があってから3年後、ようやくそのニュージーランドの競馬場もゲート
が全面改装されたそうだ。もうあんな事故は起こらないはずだ。
この話を思い出すたびに、「今日も無事に競馬情報が終わってよかったな」と思う。